寿命100歳、とも言われるようになった昨今。
もはや、介護は誰でも経験するものになりつつあります。
介護は、したことがないとその大変さは本当の意味で知ることはできません。
高校時代の同級生のお母さんから聞いた、介護にまつわる、一本のマネキュアのストーリー。
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家族がいても、孤独
寝たきりの義母、夫、長男、長女の5人家族。
長男は大学進学で地元を離れ、関西の大学に進学が決まっている。
長女は高校生で大学受験を控えている。
義母に認知症はなく、頭はしっかりしているけれど、嫁いできてからずっと嫁いびりがひどく、台所に一緒に立つのは苦痛でしかなかった。
夫はそんな嫁姑の険悪な仲を取り持とうともせず、仕事を言い訳に毎日飲んで遅く帰ってくる。
いがみ合う母と妻がいる家から、なんとなく足が遠のいていたのかも、と思う。
東京にもたくさん大学があるというのに、息子はわざわざ遠く関西の大学への進学を希望した。
春から初めての一人暮らしにひとり、うきうきはしゃいでいる。
娘は唯一、わたしの話を聞いてくれるが、介護の手伝いまでは頼めない。
専業主婦は、家にいるというだけで何でもアテにされてしまう。外に出て仕事をしている方が、どんなに精神的に楽だろうか、と考えてしまう。
家族の夕飯を作っても、みんなで食卓を囲んでいたのは子供たちが小さいうちだけで、子供たちも友達との遊びが優先になり、家でひとり、食事をすることも増えた。
義母に食事をさせるときが、とても苦痛。
食べやすいようにと軟らかく煮て潰した南瓜やじゃがいもも、こんな不味いもの!とわざと口から吐いたりする。もういらない、と言うから食事を下げると、今度は部屋から大きな声で呼ばれ、お腹が空いた、こんな仕打ちをされるなら死んだ方がましだ、と罵られる。
なぜこんな毎日が続くのか。いつまでこんな日々が続くのか。
終わりが見えない辛い日々に舌打ちしたくなる。
家族と一緒に暮らしていても、自分がすごく孤独でみじめに思えてしまう。
近所のご夫婦は毎年海外に旅行をしていて、そんな幸せそうな話を聞くと、ポロリと涙がこぼれそうになる。必死で笑顔につとめ、自分の悲しみが溢れでないように心にシャッターを下ろす。
いつからこんな女になってしまったんだろう、そんなことを考える。
嫁が介護を担う、という日本の常識
結婚すると、女は家庭を守り、育児や介護は嫁の仕事。
そんな風潮も薄れてきてはいるけれど、嫁いだ家の常識や環境によってまだまだ女性の負担は大きいと思う。
物理的に夫は仕事で日中いないわけだし、おむつを替えたり食事をさせる、という時間に夫がいなければ何も意味をなさない。
ケアマネージャーに相談しながら、ヘルパーを入れてできるだけ自分の負担を減らしたい、そう思っても義母がそれを良しとしない。なぜ家族がいるのに他人を家に入れるのか、知らない人に触られるのは嫌だ、と強く否定する。
それでも強引に、という人もいるけれど、ヘルパーさんがいない間の二人きりの時間、どんなことを言われ続けるのかと想像すると、自分でやってしまった方がいい、そんな風に考えてしまう。
夫に相談しても上の空で、きちんと話を聞いてもらえない。
いかに辛いか訴える母親の気持ちを優先し、介護する妻の声は心に響かない。
そんなことでなんども口論にもなったけれど、最近は諦めている。
最近の女性は、専業主婦願望が強い人がまた増えているという。
でも…女性も男性と同じように知恵と技術を身につけ、社会で働く人になった方がいい、と心から思う。
外で働いている、という既成事実があれば介護はできない、という主張もすんなり受け入れられる気がするし、介護は専門家に任せて自分の好きなことができるお金と時間が持てるのは素晴らしいことだと思う。
誰にも伝わらない介護の辛さ
介護をしたことがない人にどんなに気持ちを聞いてもらったところで、それは結局他人事でしかならないと思う。それが悪いこと、ということではなく、真実として理解できないだろうな、と思う。
嫌がらせで部屋中に大便をしていたり、食事を投げつけたり、日常的に暴言を吐かれるその辛さは、経験していないと同情はできるとは思うけれど、共感はできないだろう、と思う。
わたしが楽になれるのは、この母親が死んだときか、自分が死んだときだろう、そんなことをふっと思うことがあるが、きっと介護をしている人なら誰でも考えたことがあるだろう、と思う。
一本のマネキュアが、癒し
久々に、街の百貨店に買い物に出かける時間を持てた。
化粧品売り場のまばゆい光が、とても眩しくて、別の世界に来たような気がした。
販売員に声をかけられ、新作の口紅を勧められた。
普段つけないような、赤い口紅。
その場で試供品を塗ってみると、パっと顔色が華やいだ気がした。
いつもの自分から、別の自分が顔を出し、なんだか体の奥から力が沸いてくる、そんな感じだった。嬉しくて、その赤い口紅と一緒に、同じ赤いマニキュアを一本買った。
口紅とマネキュアを買っただけなのに、とても気分が晴々しく、嬉しくて涙が出た。
家に帰り、家族が寝静まった夜遅く、台所の小さな明かりの下でマネキュアを塗る。
一本一本、息を止めて慎重に。
この緊張感が、とても心地よい。
すべての指に塗り終わったあと、手を光の方にかざし眺める。
皺やしみがある手だけれど、すごく綺麗…
指先がぱっと華やかになるだけで、なんだかとても元気になれる。
翌朝、わたしの指を見て「なんだ、その赤い爪は!」と夫が言った。
わたしは微笑み返して、「綺麗でしょう?わたしはこれから、ずっとこれでいくわ!」
家で家事をし、介護をする。
マネキュアなんて必要ない、嘲笑する人もいるかもしれないけれど、辛い介護を乗り越えるわたしの武器。
なんだかとても強くなれる、そんな気がしたのです。
会話もしたくない、そう思っていた義母とわたしを繋ぐ一本のマネキュア
寝たきりの義母も案の定、わたしの爪をみるなり小言をつく。
想定内なので適当に切り抜ける。
でも…口も聞きたくない、一秒でも早く終わらせてしまいたい、と思っていた介護の時間。
わたしは義母に声をかけてみた。
「お母さん、これとっても綺麗でしょう?とても気分がいいの。お母さんにも塗ってあげましょう」
そんな自分でも意外な言葉が口をついていた。
いい、いい、と断る母親の指先に、ひとつずつ色を乗せる。
いい、いい、という言葉とは裏腹に、塗っている時間静かに自分の爪を見つめてじっとされるがままにしている母。
塗り終えると、可愛らしく微笑んで、「ほんと、綺麗」と言った。
相変わらず暴言を吐くけれど、でもなんとなく二人の関係性が変わったような気がする。
マネキュアがはがれてくると、また綺麗に落として、塗りなおす。
そんな時間ができるなんて、夢にも思わなかった。
数千円の一本のマネキュアが、私たちを救ったような気がするのです。
おわりに
いかがでしたか?
高校生当時、クラスメートの女の子のお母さんが私たちに話してくれた記憶をたどり、エッセイにしてみました。
介護をしたことがある人しか、本当にあのズシンとくる心の重みは伝わらない、とわたしもこの年齢になって思います。
また、自分が年老いたとき、絶対に周囲の人に暴言を吐いたり、いじわるはすまい、とも思います。
できるだけ自分で自分の健康を維持する知恵をつけ、どこまでも自分の足で歩き、新しい世界に飛び込む勇気や行動力を持つおばあちゃんになりたい、そんな風に思います。