安楽死について考える

安楽死について考える。安心して死ねる、ということはとても大切

「渡る世間は鬼ばかり」で有名な脚本家、橋田寿賀子さんが雑誌インタビューで「認知症になったり、からだが動かなくなったら安楽死したい」とインタビューで話し、大きな反響を呼びました。
橋田寿賀子さんは現在92歳。まだまだお元気そうですが、女性の平均寿命の88歳を上回る後期高齢者です。
40代は人生のターニングポイント。まだまだ元気に活動できる年代ですが、自分の親の介護や死を経験する人も多い世代。
将来のこと、そして自分が死ぬときのことも考え始める世代だと思います。
橋田寿賀子さんの記事を読んで、自分なりに考えさせられたのでまとめてみました。

橋田寿賀子さん「安楽死、もうあきらめました」朝日新聞デジタル


記事の要約

  • 家族がいない独居なので、寝たきりになったり重度の認知症になって、人に迷惑かけてまで生きていたくない。
  • 自助努力でトレーニングや定期的な検診を実行するかわりに、いよいよダメだ、という段階になったら安楽死できる仕組みがあったらいいと思う。
  • 身寄りがいないと、からだが動かなくなったら介護費用にお金がかかる。どれくらいかかるかわからないから、自由に楽しくお金が使えない。
  • でも、安楽死には本人の意志と、それを判定する人が必要。
  • 日本には安楽死の法律はないが、尊厳死というものはある。
  • 安楽死と障がい者の治療の問題は分けて考えるべき
  • 患者を何が何でも生かす医療ではなく、どう死を迎えさせてあげるたいか、真剣に考える医者も必要。

私の考え方と哲学|親の死を経験して、初めて「死」について考えた

白血病で母が他界

わたしは40歳のとき、母を白血病でなくしました。享年67歳でした。

わたしの年齢では、まだまだ両親とも健在という友人の方が圧倒的に多かったので、40歳という若さで母親を失うということに複雑な思いがありました。

突然白血病を64歳で発症し長い間闘病生活を経ての死でした。
母は絵手紙の先生をやっていて、生徒さんもたくさんいました。生徒さんが心配してしょっちゅうお見舞いに来てくださったり、絵手紙で励ましのメッセージを送っていただいたりして、寂しい入院生活ではなかったようです。

白血病が急性に転化し、普通の外の空気でさえ吸うことができなくなりました。空気中には色々な菌やカビが浮遊していて、免疫力がほとんどない白血病患者にとって、とても危険なことなのです。
それなのに、病院の大人の事情でいったん退院を余儀なくされました。
「最後に自宅で、家族団らんをするための時間ですよ」と病院からは言われました。
私の会社の理解と協力もあり、母が他界する直前の3日間は、ずっと病室で母と過ごしました。
会話はかろうじて出来ていましたが、からだは動かない、という状態でした。神経がどんどん死に向かっていて、頭では動かせると思っているのに自由が利かない。
私は医療系の大学に勤務していたので少し知識があり、もう死が近いということを知りました。

呼吸がうまくできず酸素を十分に取り入れられないため、酸素マスクをつけていました。
それでも呼吸が苦しくなっていくので、医者からは「最後はモルヒネを打つかどうか、ご家族で話し合ってください。モルヒネを打つと、呼吸は楽になるはずです。でも、数時間から数日後にはお亡くなりになると思います」と言われました。
そのとき、「これって安楽死じゃないの?」と思いました。ちなみに、モルヒネを打つかどうかは家族では話し合いましたが、母親がどうしたいかは確認していません。確認できる段階ではなかった、というのが現実です。

まだ目を明けて会話ができる、亡くなる1週間前、わたしなりに母の死をどう迎えさせてあげるか、真剣に考えました。

母はもちろん白血病であることを知っていましたが、「治る」と信じて疑いませんでしたし、インターネット等もあまり使い方がわからず、いい意味で自分が死に向かっていることを知る情報を持っていませんでした。「治って、また一緒に暮らしたい」と最後まで言っていました。

そんな母に、「どんな風に死にたい?」とは聞くことができず、わたしの独断で考えていたわけです。

わたしが考えて実行した「母の死ぬ前にやることリスト」

わたしの取った方法は、

  • 親戚(母の弟妹)に連絡して死が近いことを知らせる
  • 介護施設に入っていた祖母(母の母親)と、電話で会話をしてもらう
  • 母親の携帯に入っている電話帳から、「よく聞いたことのある名前」をピックアップして、「最後のお別れになりそうなので、会いたい方は会ってあげてください」と伝える
  • 母が「聞きたい」という歌を病室に流す
  • とにかく、とにかく、母と会話をする

ということを実行しました。

おかげで、全部実現することができました。親戚や大勢のお友達が病室に集いました。
何も言わなくても自分の死が近いと悟っていたのか、母は皆さんに感謝の気持ちを伝え、ありがとう、ありがとう、と喜んでいました。
後から、「よく連絡してくださいましたね」と初めて会った母のお友達からも感謝のことばをいただきました。

ちなみに、母が聞きたい、と言った歌は賠償千恵子さんの「あざみの歌」。
母の口からこの歌を聴いたこともなく、まったく知らない歌だったのでとてもびっくりしました。

母はわたしの母だったけれど、わたしに見せないひとりのの女性、ひとりの人間としての内面があったのだ、と知りました。

安楽死についての考え方は橋田さんと同じ。

わたしは独身です。今は元気に仕事をしているし、それなりに楽しい生活をしているので、実際に困っていることはありません。
でも、将来90歳を超えて生きたら、悩みは橋田さんと同じものになるだろう、と思っています。
いつまで生きるかわからなければ、いくらお金をプールしておけばいいのか不安になると思います。
寝たきりになって、認知症になって、なにもわからない状態になってしまったら、安楽死させて欲しいと私も思います。
延命治療はしない、食事をむりやり食べさせて延命させないで欲しい、と、時期を見て親戚に伝えておくか、遺言に書こうと思っています。

将来結婚しても同じです。自分が夫よりも先に死ねるとは限りません。先に夫が亡くなれば、やはり最期はひとりです。

長生きすることだけが幸せのものさしではない

健康で自分の足で歩き、料理や食事を楽しみ、買いたいものを買う。

一見、当たり前なことのように思えますが、それが高齢になるとままならない、ということになるかもしれません。

日本は長寿国として他の国との比較などして喜んでいますが、長生きだけが幸せのものさしではないと思っています。

日本の医療費はすでに赤字

現役厚労幹部官僚が告発「日本の医療制度は最短5年で破綻」

出典:AERA.dot

「国民皆保険は維持できない」、医師の過半数が悲観的見解・・・過剰医療蔓延で医療制度破綻の危機

出典:Business Journal

日本の医療はすでに破綻寸前。国民皆保険により75歳以上は1割負担。病院の待合室が高齢者の井戸端会議のようになっているところもあります。

統合医療をひとりひとりが実践するのがいいと思う

メディカルは、すでに病気になった人が利用するもの。具合が悪くないのに医者に見てもらう人はいません。

医療費の自己負担の少ない高齢者は、たいした状態じゃなくても気楽に病院に行き、薬を処方してもらいます。それで安心するのかもしれませんが、日本の医療費は空前の灯火なのに、現状では「本当に必要な人」にまわらなくなる保険になりそうです。

日本の医療費削減には、ひとりひとりが病気を未然に防ぐ意識や行動が必要です。

健康維持のために、カイロプラクティックや針灸を受けることも医療費削減につながります。病気になってから薬や手術にお金をかけるのではなく、病気にならない健康なからだを維持するためにお金をかける、という考え方のシフトです。

どうせお金をかけるなら、からだにメスを入れられたり薬の副作用で不愉快な思いをするより、ずっといいことだと思います。

カイロプラクティックは保険適用不可、針灸は対象となる傷病が限られています。これを高いと思うかどうかは人それぞれですが、たとえば腰痛、肩こり、肩の痛みなどは、整形外科に行ってもほとんど何もしてもらえません。3分診療後、痛み止めを処方されるだけで終わり、ということがほとんどです。

内臓疾患による腰痛や肩こりの場合もありますので、カイロプラクティックを受ける際は禁忌症をきちんと判断できるカイロプラクターを選びましょう。

知識があるカイロプラクターは「全部治せる」とは絶対に言いませんし、場合によっては病院に行くことを勧めてくれます。

日本では、国際基準のカイロプラクターがいます。わたしはいつも、国際基準のカイロプラクターにみてもらっています。

ここに問い合わせれば、自分が住んでいる地域の国際基準のカイロプラクターを紹介してくれます。

退職後の人生の方が長くなる可能性も。年金はあてにならないのにどうすればいいの?

いまの平均寿命(男性82歳、女性88歳)でさえ、老後に必要なお金はひとり3000万円、と言われています。

子どもひとりあたり、養育と教育にかかる費用は2000万円といわれています。

平均所得が300万円と言われるこの時代、家を買い、子どもを育てて夫婦二人の4000万円を貯められる家庭が、現実にどのくらいいるでしょうか。

年金に頼らず、保険や貯蓄で準備する必要がありますが、明確な指標は出ていません。

子どもを産み育てることは大変ですが、ある程度手が離れたら女性も社会に復帰し、働くことが大切だと思います。

どう生きたか。それが大事

お金持ちも、そうでない人も。男も女も。みんなに平等に与えられているのが「死」。

所詮、いつかはみんな死んでしまう。

死んだあとのことは、死んで数年「あの世」で過ごし帰ってきた人はいないのだから、わかりません。

いかに生きたか、ということが大事だと思っています。他人のものさしではなく、いかに自分らしく生きたか。人生色々起こりますが、それでも精一杯生きることができたら、それで良し、と思います。

こどもがいれば安心、と思うのは親のエゴ

独身でいると「将来さびしいわよ~」「こどもがいなくて不安じゃない?」と良く聞かれます。ある程度の年齢になったら、みな経験のあることばじゃないでしょうか。

結婚に焦る女性からよく聞くのは「将来こどもがいないと不安だから。面倒見てもらえない」というのもありますね。

でも、わたしはむしろ、こういう人たちこそ心配だと思っています。

もちろん、家族は心の支えになりますし、いざというときに頼りになるでしょう。

でも、自分の介護大前提でこどもをつくるのって、どうなんでしょう。こどもにとっては負担でしかないと思います。

遠くに転勤になるかもしれないし、国際結婚して外国に暮らすかもしれない。日本経済が今度どうなるかわからないし、親の介護の経済的負担は無理な場合もありますし、子育てで精一杯かもしれない。

「育ててあげたんだから」「親不幸者」などの発言を当たり前のように口にする大人、けっこういます。

こどもがどんな人生を送るかはわかりませんし、その選択や決断は親ではなくこども本人がすべきです。

介護はしてもらえたらラッキー!というくらいで、基本は自分でなんとかする、という自立した心とからだが必要だと強く思います。

本当に遺るものはモノではなく「言葉」や「思い出」

土地やお金を遺してもらえたら、たしかにこどもにとってはありがたいです。

でも実際に、本当の財産といえるものってお金やモノではなく、母や父の「言葉」や「思い出」ではないでしょうか。

親である自分が死んでも、こどもが憂いなく幸せに生きる指標となるのが、「ことば」だと思っています。

自分が辛い経験をしたとき、母親、父親だったらどうするか、どう助言してくれるか。今、ここにいなくても、生前もらったたくさんの教えが、こどもたちが大人になっても支えとなり、またかれらの子どもたちにも受け継がれます。

虐待はもちろん、親という権力を使った支配やコントロールが行われている家庭のこどもには、この財産がありません。

それは、とても悲しく、大きな損失です。

でも、もし不幸にもその財産がもらえなかった人は、自分でこどもたちにことばの財産を残すことはできます。いつでもスタート、再開が可能!

今、まだ親が健在な方は、いっぱい会話をして欲しいな、と思います。

まとめ

超寿命の今、経済的、心理的不安は誰にでも起こりえる。夫、妻がいても、こどもがいても、自立して生活できる強さが必要。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です